■ 事業家、渡辺詮吾
売薬製造の方法が、甲南町の磯尾・竜法師から甲賀町の滝へ伝えられたのは、渡辺詮吾に負うところが大きい。渡辺詮吾は十九才の時、岡山県へ行商(配札を兼ねたものと思われる)を行ない、「テリアカ」の処方を学んで帰り、後これを製造販売している。親類にも、売薬をすすめ、さらに独立営業させるなどして、甲賀町における売薬を拡大していった。
渡辺詮吾を中心とする初期の甲賀町の売薬は、羽織・袴すがたで、祈祷などを行なう方法であったが、配札禁止令や新政府の薬務行政の整備にともない、売薬営業の鑑札を得て売薬を行なう方向へ脱皮していった。
今日の甲賀地方における家庭配置薬に渡辺詮吾の与えた影響は大きいが、何よりも重要な点は、個人の営業から組合・企業としての営業ヘー歩をすすめた点である。
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