■ あるくすり屋さんの話
昔から配置員のことを、薬屋さん、加賀医者さん、越中さんと呼ばれ、薬品万端の経験とそれを売る業として非常に尊敬された。それは薬師(クスシ)と古来医者のことを薬師(加賀医者)等々と呼んだ名残りであろう。
大津キャハンにワラジがけ、角帯前掛を締めて羽織を着て、紺の一反風呂敷に行李を背負う服装は、配置員独得の服装であり、商人が羽織を着て行商することは他に例をみないことで、職業と服装により一段と尊敬されたのである。
加えて年間無償で預けて使用したものの代価を集金することは、他にみることのでぎない商法でもある。たとえば各家庭訪問の際も、その挨拶も、敷物の座布団を出す態度は他の商人と異ったものがあった。
名称や習慣、または外見による尊敬や信頼の上に、さらに内的な薬の説明による信頼度もあった。たとえば、さらによい薬がないかとの相談を受けることは、今も昔も変りはないが、あるとき、肩のこりに膏薬を貼ってもなかなか治らないとのことで相談をうけ、薬局でイヒチオール・クミケンキ・アルコールを買わせ使用法を説明しておいた。次回訪問の際に、非常によかったと喜ばれ、お土産を頂戴したこともあったという。また、神経痛で医者にかかっても治らない病人に出くわし、アスピリン(バイエル)ケンチャナ根菜を主剤にしたものを使用する説明をしたことによって、その実効があり長年の病気が治ったということ等々は、配置員の専門的な教養とともに信頼性のいかに高かったかがうかがわれる。当時配置薬全般が信頼と信仰と親切をモットーに進められ、近江の薬はよい原料薬と配置員の人間性によって発展してきたものであろう。
配置員の毎日毎日の中にも、商売以外に自分の個性や特技を発揮し親切をつくしたいろいろなエピソードがある。
機械好きな人が秋の脱穀機の修繕をしてやったとか、歌や俳句の同好者との交遊、筆達者が額半折に揮毫をふるうなど、親しくつぎあった家の冠婚、葬祭、新築等への心づかいなど、先方との心のかよった行為が人間らしい味のある人生でもある。
あるとき結婚式に招かれ、即席の一句を色紙に書き呈上した。「百までは、はずし給うな手毬つき」−ところが亭主たいそう悦に入り、以後俳句の薬屋さんの愛称で、その他の人からも呼ばれ、行商にいかなくなった今もそうした余技のとりもつ縁が音信の絶える間なく、商売を楽しみ、余技を生かし、旅になじむ心境は、配置員のみに味わえる尊いものではなかっただろうか。
また、各戸を訪問する配置員は、そこの家庭構成や気風、財産等までも周知していることから、意外なところで結婚の橋渡しや仲人となった例もある。また、揮毫した額が、現在もなおかかっていたり、今一枚書いてほしいとの注文をうける例もある。
商魂一途に生涯をかけるたいせつさとともに、他から信用を得、親切にお世話したりすることも人生修業において欠かせないうるわしいほほえましいものである。
この頃、配置員を志す者としての魅力は、第一人格の練成、知らぬ旅の味わい、他人に接しての礼儀作法と商人の道、最後に帳主となって独立営業し、存分に自己の力を発揮することに希望をもっていた。この習慣は明治、大正時代の老も若きも念頭においたものである。
別家しのれん分けなどによる将来の楽しみを約束することは、一つの配置売薬の慣習ともなり、現在でもそうした因縁の主従関係から親類以上の付合いで苦楽を共にする人や、旅先で一家を構え、商魂たくましく新しいセンスで盛大に営業している者も多くある。
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